日本初の鉄骨構造の実現
三井総本店
民輔の生涯を追う上で、三井とのつながりを欠かすことはできません。1892年三井元方嘱託となった後、民輔も三井の仕事に十分な手ごたえを感じ、自分の持てる力を精一杯注いでいたことが当時の作品群から伺えます。その集大成ともいえるのが日本橋に建てられた「三井総本店」でした。
1891年の濃尾地震をきっかけとして建築の耐震性に深い興味を示していた民輔は、その一つの解として鉄骨構造の有効性を唱え、「三井総本店」において日本で初めて実現します。
三井からの厚い信頼を得ながら自らの思い描いた建築を存分に具現化していく過程で、民輔は建築家としての自信、今後自らが目指すべき方向を確固たるものにしていきました。
横河工務所設立
図面を引かない建築家
三井総本店が竣工した翌年、民輔は弊社前身である「横河工務所」を設立します。後に「図面を引かない建築家」と言われたように、中村伝治、松井貴太郎などの優れた設計者に実務を任せ、自身はマネージメントに没頭していきます。鉄骨構造の普及に尽力し、自国での鉄骨生産を実現するための「横河橋梁製作所」(現 株式会社横河ブリッジ)、計測器類を生産する「電気計器研究所」(現 横河電機株式会社)をはじめとし、様々な事業を展開していきます。
しかしこれらの事業を抱えながらも、横河工務所の所長として建築設計を軸としていたことは明らかです。設計を行う技術者たちは口数少ない所長の機微を「黙って聞いておられるときは一旦見合せ」、「うなずいて聞いておられたら賛成」、「”それは宜しい”と言われたらほめ言葉」といった具合にとらえ、民輔の思いを建築として紡いでいきました。
工務所が世に出す建築に対する責任は民輔自らが追い、民輔の人脈や厚い人望と横河工務所の高い技術力が、顧客からの信頼を支えていました。
横河工務所の成功
「今日は三越、明日は帝劇」
「…日本橋区三代超楓河岸に事務所を設け、あまねく建築の設計、製図、督工、図案、測量等の需めに応ずる事になせしに、氏の技能を慕うて建築の設計等を依頼するものの日に増加し、昨今に至りては所員を増加するも、なおにわかに申込みに応じ兼ねるまでの繁忙を来たし居れりと云う」
(『中外商業』 明治36年7月4日付)
こう報じられたように、横河工務所は民輔の人望と科学的根拠に裏付けられた確固たる技術をもって、建築の黎明期である明治・大正・昭和と数多くの実績を残しました。
当時流行したキャッチコピー「今日は三越、明日は帝劇」に掲げられる三越日本橋本店、旧帝国劇場の両方が横河工務所の作品です。
その他、東京株式取引所・日本工業倶楽部・三信ビルディング・東京銀行集会所・交詢社倶楽部等をはじめとし、ビルディング・店舗・銀行・紡績工場・個人邸宅等、人々の暮らしの中に根付き堂々と息づく、華々しい建築を築いていく存在となりました。
三越呉服店
三越呉服店 日本初の
デパートメントストア
日本初のデパートメントストア「三越呉服店」が実現されるにあたり、民輔からもさまざまな建築的提案があったとされています。 三越日本橋本店は、当時としては最新の鉄骨カーテンウォール式煉瓦造を採用し、地下1階地上5階、延床面積4003坪という、巨大な建築物であるとともに、日本初のエスカレータをはじめとする最新の設備を数多く備えていました。当時の新聞では「スエズ以東最大の建築」と讃えられています。
2008年に行われた三越日本橋本店の免震バリアフリー化(弊社設計監理)が完成し、第14回BELCA賞ロングライフ部門で表彰を受けました。また、2016年には「意匠的に優秀なもの,歴史的価値の高いもの」として国の重要文化財の指定を受けました。以下に、BELCA賞受賞時の講評および重要文化財指定時に挙げられた指定理由を引用いたします。
「1914年以降、常にそれまでに築かれてきた資産を大事にしながら、一貫性をもって増・改築を重ねてきた姿勢および建物外観や機能を損なうことのない免震化工事の計画などが高く評価された。また、建築主ばかりでなく、維持管理者、設計者、施工者が一体となって、良好な人間環境のもと、建物に愛着・愛情を共有し、かつ時代の要請に合致した運用を行ってきている。」
(公益社団法人ロングライフビル推進協会ホームページ 第14回BELCA賞ロングライフ部門選考講評より引用)
「三越日本橋本店は、西洋古典様式を基調とした重厚な外観をもち、内部では格調ある色調で彩られた三越ホール、五層吹抜けの中央大ホールなどを中心に、各時代の先駆的な意匠を用いて華やかに装飾している。様々な集客のための仕組みを取り入れながら増改築が重ねられており、我が国における百貨店建築の発展を象徴するものとして価値が高い。」
(文化庁ホームページ 平成28年5月20日「重要文化財(建造物)の指定について」より引用)
どちらの評価においても、この建築が良好な状態で保全されていることによる歴史的価値のみならず、魅力ある百貨店建築として時代に合わせた発展・成長を続けている点が挙げられています。
常に時代のニーズを追い求めた民輔の姿勢が、100年以上の時間を超えて評価されたものと自負するとともに、長きに亘りともにこの建築を愛し、守ってくださっているお客様との絆の大切さを実感するものとなりました。
医療・福祉施設設計の礎
医療・福祉施設設計の礎
日本赤十字社との協同
現在弊社の主要分野でもある医療・福祉施設の初期作品は、明治41年12月に竣工した三井慈善病院であったとされています。また、横河工務所の代表的な設計者であった松井貴太郎が、戦後間もなく全焼した松山赤十字病院の再建を任されたことから日本赤十字社とのつながりも始まります。その後松井は1954年日本赤十字社の顧問(建築)を委託され、数多くの赤十字病院の設計監理を手掛けます。この時に得た医療施設設計のノウハウは、今も弊社の設計技術の礎として根付いています。