Theme 01
社会環境の推移と病院機能の変化
量的推移と病院の主体
第2次世界大戦直後、病院数はわずか645であった。その後、経済の復興に歩を合わせ医療施設は急速に充足していった。1990年、病院数は最大値(10,096病院)を迎えた(図1)。
国民皆保険制度が敷かれ、誰もが廉価で最良の医療を受けられるようになった。1980年代半ばまで、病床を増やせばそれだけ収益につながった。この時期の病院の主体は事業者にあり、医療者にとって機能的で合理的な設計が追求された。病院建築の大きな目標は増大する医療需要に応えられることであり、増床の機会を見つけ、さらに規模拡大をめざしていた。
1982年、「医療費亡国論」が叫ばれ、社会保障制度を維持するには早急な改革が必要だと指摘された。病床規制を含む医療計画が制定され(1985年)、増床は不可能となった。また病床過剰地域も散見されるなど、病院間の競争としての患者サービスの向上という視点が出てきた。「癒しの環境づくり」が病院建築のキーワードとして認知され、病院の主体は患者の視点にシフトした。量的充足の要求から質的充足の時代となり、競合に勝つための経営判断が求められるようになったのである。医療の器としての病院建築は、成長と変化が求められたが、増床の志向はなくなった。
医療サービスの質を評価する日本医療機能評価機構が設立され、また、JCI(Joint Commission International)による認証制度の普及など、2000年以降、病院は第三者の評価・認証にさらされている。いずれも医療の質、すなわち「患者(医療)安全:Patient Safety」の達成である。これまで医療者にとっての機能性、患者にとっての快適性が重視されてきたが、病院という施設では「安全」が何より優先されるという評価であり、建築に対しても厳しい要求がある。
人口推移と病院計画目標
1945年の我が国の人口は7,200万人、ピークは2008年の1億2,808万人であり、その後は減少に転じ、今後50年ほどで終戦時と同程度まで落ちることが予想されている(図2)。
ところで、これまでの病院建築の寿命はせいぜい25年から30年といったところであった。地価の高い日本では、建物に手を入れて長持ちさせるよりも、陳腐化したらスクラップ・アンド・ビルドによって建替えたほうが経済的だ、という考えが一般的である。多くの病院が規模拡大・増床による収益拡大を見越し、30年という短い間隔で更新が行われた。もちろんその間にも、改修や増築などによる建築的対応はあったが、大規模な増改築をするより新築が選択されたのが普通であった。
昨今、建替えられた、あるいは検討中の病院は1980・90年代に建てられたものであろう。当時、病院建築を長く持たせるために、成長と変化への対応が必要だと強調されていたはずであるが、やはり30年前後で建替えられているのが現実である。
さて、これからの人口減少時代に建てる病院の計画である。高齢者の絶対数はいましばらく増加し続けるが、そのピークは2040年で、その後は高齢者数も減少する。あと17年である。これから建てる病院は高齢者数も減っていく時代にも使い続けることになる。このような時代に活動を続ける病院建築はどのようなものなのか。いくら医療技術が進化し続けるとしても大幅な増築は考えられない。むしろ病院はコンパクトになり、加えて在院期間のさらなる短縮化により、その状況は加速がかかる。今後は病床削減、そして減築という事態への対応が必要となることは明らかであろう。公立・公的病院の再編統合を促す424病院の発表(2019年)を見れば、病院の廃止を進める法的整備が発せられる可能性だって想定される。

